評論:川原泉問題 ― 2007年12月28日
最近雑感ばかりかいてるとは思うけど、また思った事。
メロディ2008年2月号が欲しいなあと思って検索していたら、川原泉とゲイ/レズ・フォビア(=同性愛嫌悪)問題についてのブログが一杯あったので、読んでみた。で、その評論。ちなみに、敬称略ですので、あしからず。
結論 自分たちを差別する相手に対して批判するだけではなく、
自分たちの気持ちや立場を理解してもらうには、
どうすればいいかを考えた方がよいのではないか?
以下本文
ゲイ/レズフォビア問題に限らず、性差別問題、マイノリティ(=少数者)差別は少女漫画全般にある問題だと思う。
後者の例として、「オトメン」や「兄ワールド」「だめっ子どうぶつ」など、他の人とは違う趣味の持ち主を主人公にした漫画が増えているが、それらは主人公の立場を代弁しているというより、好奇の目で見ているだけだと感じる。
差別とは、ベン図で人間を切り分けることである。
自分の立場と違う立場の者を、下等な種類の別の生物、もしくは奇妙な生き物(精神的奇形)だと見なす事である。それは嫌悪感(劣等感)や好奇の目として現れる。
「真面目な人には裏がある」に出てきたベン図や偏差値は、差別構造そのものである。
また、おとなしい女性への偏見は少女漫画につきものである。明るく活発な「NANA」のハチは可愛く善良に描かれるのに、どうしておとなしい「兄ワールド」の寺島は不気味で邪悪に描かれるのか。
恋愛のことしか考えない所は同じではないか。まさに差別である。黒人差別や魔女狩りなどからわかるように、差別する側は、差別する相手に対して、邪悪な考え方を持つとか、不気味だ(怖い)から差別してよいと考えているものだからである。
翻って川原泉はどうか。みんなが褒めている「笑うミカエル」には典型的な男女差別(ジェンダー問題)が、「ブレーメン2」には酷い植民地差別観念が潜んでいる。
「笑うミカエル」は主人公の史生と柚子のその後の違いを見れば明かだろう。
史生・・勉強第一、上昇志向=男性的=生涯独身で仕事に生きる
柚子・・勉強より恋愛と友情を優先=女性的=良妻賢母となる
この図式は、ジェンダーによる男女差別そのものではないのか?
「ブレーメン2」に出てくる改造動物達(ブレーメン)は優しく従順で純真だ。しかし製造者たる人間の助けなくしては独立すら不可能だ。彼らには自分でなんとかする自主性もないというのか?それは植民地差別的な差別観念の現れである。(この辺の問題は専門書を読めばわかる。ゴーギャン関連も参照されたし)
しかし、一部で批判されている「メイプル戦記」では、ゲイではないが性同一性障害者が出てくる。その「彼女」は周りから差別されず、最後には恋愛を成就する。
ジェンダー問題に関しても、仁科夫妻の最後の握手と和解から、男女間が性別を超えて対等につきあっていることがわかる。
この描写は紛れもなく男女差別を否定したものであり、少女漫画としては希有な作品だと感じる。
それに、川原泉は進学校から大学へ進学し卒業した。我々から見ればエリート層に属する人間だ。また、保守的で有名な九州出身者でもある。
そう考えると差別表現が多発するのは別に不思議な現象ではない。彼女に同性愛者や性同一性障害等、社会的弱者の気持ちがわかるはずもないと思う。
それでも彼女は理解しようとしている。それがマイノリティを描こうとする姿勢に現れているのであって、全くマイノリティの存在を無視している作家には無い点なのである。
少なくとも、その点だけでも評価すべきではないか。
そして努力は評価した上で、川原泉に自分達の立場を理解してもらおうと投書するなり、直に会って訴えるなりすること。
それこそ、マイノリティが社会が自分達に行う差別と偏見を乗り越える為にすべきことではないか。
理解しようとしている人間を味方にすれば、その人間の発言力が大きければ大きいほど、差別する集団の一角を切り崩すこともできるようになる。
・・もちろん、彼女の漫画にある差別表現を許せる訳では無い。
しかし差別問題は少女漫画全体の問題であって、一作家の問題に還元するものではない(同意見のブログも実はあるが)。
川原泉だけを責めて、他の漫画家を責めないのでは、いじめられている側がいじめる側にまわって個人攻撃をするようなものだ。
第一に、同性愛者の中にもおとなしい女性やケーキ作りや編み物好きの男性を敵視している人がいるのでは?
男性役割、女性役割を作るBLや百合世界にも、ジェンダー的不平等があるのではないか?
同性愛者がもしそれを許容しているなら、性差別を自分もしていることになる。
第二に、男だろうが女だろうが異性愛者だろうが同性愛者だろうが、どうせ他の動物から見たら同じではないか。猿の集団から個体を見分けられる人間が少ないのと同様だ。
だから強者のうちの一人を集団で叩くより、彼らに如何にして自分たちの存在を認めさせ、やがては共存できる道はないかと試みたほうが弱者にとっては有益ではないかと思われるのである。
参考:http://d.hatena.ne.jp/HODGE/20060730/p2
http://d.hatena.ne.jp/lepantoh/20060823
http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20060731
メロディ2008年2月号が欲しいなあと思って検索していたら、川原泉とゲイ/レズ・フォビア(=同性愛嫌悪)問題についてのブログが一杯あったので、読んでみた。で、その評論。ちなみに、敬称略ですので、あしからず。
結論 自分たちを差別する相手に対して批判するだけではなく、
自分たちの気持ちや立場を理解してもらうには、
どうすればいいかを考えた方がよいのではないか?
以下本文
ゲイ/レズフォビア問題に限らず、性差別問題、マイノリティ(=少数者)差別は少女漫画全般にある問題だと思う。
後者の例として、「オトメン」や「兄ワールド」「だめっ子どうぶつ」など、他の人とは違う趣味の持ち主を主人公にした漫画が増えているが、それらは主人公の立場を代弁しているというより、好奇の目で見ているだけだと感じる。
差別とは、ベン図で人間を切り分けることである。
自分の立場と違う立場の者を、下等な種類の別の生物、もしくは奇妙な生き物(精神的奇形)だと見なす事である。それは嫌悪感(劣等感)や好奇の目として現れる。
「真面目な人には裏がある」に出てきたベン図や偏差値は、差別構造そのものである。
また、おとなしい女性への偏見は少女漫画につきものである。明るく活発な「NANA」のハチは可愛く善良に描かれるのに、どうしておとなしい「兄ワールド」の寺島は不気味で邪悪に描かれるのか。
恋愛のことしか考えない所は同じではないか。まさに差別である。黒人差別や魔女狩りなどからわかるように、差別する側は、差別する相手に対して、邪悪な考え方を持つとか、不気味だ(怖い)から差別してよいと考えているものだからである。
翻って川原泉はどうか。みんなが褒めている「笑うミカエル」には典型的な男女差別(ジェンダー問題)が、「ブレーメン2」には酷い植民地差別観念が潜んでいる。
「笑うミカエル」は主人公の史生と柚子のその後の違いを見れば明かだろう。
史生・・勉強第一、上昇志向=男性的=生涯独身で仕事に生きる
柚子・・勉強より恋愛と友情を優先=女性的=良妻賢母となる
この図式は、ジェンダーによる男女差別そのものではないのか?
「ブレーメン2」に出てくる改造動物達(ブレーメン)は優しく従順で純真だ。しかし製造者たる人間の助けなくしては独立すら不可能だ。彼らには自分でなんとかする自主性もないというのか?それは植民地差別的な差別観念の現れである。(この辺の問題は専門書を読めばわかる。ゴーギャン関連も参照されたし)
しかし、一部で批判されている「メイプル戦記」では、ゲイではないが性同一性障害者が出てくる。その「彼女」は周りから差別されず、最後には恋愛を成就する。
ジェンダー問題に関しても、仁科夫妻の最後の握手と和解から、男女間が性別を超えて対等につきあっていることがわかる。
この描写は紛れもなく男女差別を否定したものであり、少女漫画としては希有な作品だと感じる。
それに、川原泉は進学校から大学へ進学し卒業した。我々から見ればエリート層に属する人間だ。また、保守的で有名な九州出身者でもある。
そう考えると差別表現が多発するのは別に不思議な現象ではない。彼女に同性愛者や性同一性障害等、社会的弱者の気持ちがわかるはずもないと思う。
それでも彼女は理解しようとしている。それがマイノリティを描こうとする姿勢に現れているのであって、全くマイノリティの存在を無視している作家には無い点なのである。
少なくとも、その点だけでも評価すべきではないか。
そして努力は評価した上で、川原泉に自分達の立場を理解してもらおうと投書するなり、直に会って訴えるなりすること。
それこそ、マイノリティが社会が自分達に行う差別と偏見を乗り越える為にすべきことではないか。
理解しようとしている人間を味方にすれば、その人間の発言力が大きければ大きいほど、差別する集団の一角を切り崩すこともできるようになる。
・・もちろん、彼女の漫画にある差別表現を許せる訳では無い。
しかし差別問題は少女漫画全体の問題であって、一作家の問題に還元するものではない(同意見のブログも実はあるが)。
川原泉だけを責めて、他の漫画家を責めないのでは、いじめられている側がいじめる側にまわって個人攻撃をするようなものだ。
第一に、同性愛者の中にもおとなしい女性やケーキ作りや編み物好きの男性を敵視している人がいるのでは?
男性役割、女性役割を作るBLや百合世界にも、ジェンダー的不平等があるのではないか?
同性愛者がもしそれを許容しているなら、性差別を自分もしていることになる。
第二に、男だろうが女だろうが異性愛者だろうが同性愛者だろうが、どうせ他の動物から見たら同じではないか。猿の集団から個体を見分けられる人間が少ないのと同様だ。
だから強者のうちの一人を集団で叩くより、彼らに如何にして自分たちの存在を認めさせ、やがては共存できる道はないかと試みたほうが弱者にとっては有益ではないかと思われるのである。
参考:http://d.hatena.ne.jp/HODGE/20060730/p2
http://d.hatena.ne.jp/lepantoh/20060823
http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20060731